NAKAMOTO Keisuke "Daily"

日記的な。公的な研究テーマは官僚制、私的な研究テーマは汝南袁氏(轅濤塗から袁世凱まで)。歴史学と政治学・経済学の境界を彷徨うための準備期間中です。ここで書いてる小ネタは、十年前の卒論の際の小ネタメイン。

南郡胡氏と建寧年間

南郡胡氏と建寧年間

 胡廣、あるいは同姓同名の明の政治家を思い浮かべる人もあろうし、馮道の史評によって、その名を知る人もあろう。漢代史、あるいはより限定して後漢史以外では、その名・事績はほとんど知られていないのではないだろうか。もっとも、事績という点に関して言えば、馮道の評価において「漢の胡廣、晉の謝安」と言われる如く、特に政治的役割において、特徴的な何かがあったわけではない。しかし数代にわたって宰相となったことで知られる。また制度史の分野においては、『漢官』に注したり、蔡邕の師であったり、漢の制度、舊典・故事(先例)に通じた人として知られる。
 この胡廣、「五たび九列を蹈み、七たび三事を統し、諒闇の際、三たび冢宰に據*1」ったとか「凡そ一たび司空を履き、再たび司徒と作り、三たび太尉に登り、又た太傅と爲*2」ったとの如く、期間的にもまた回数的にも大位にあった。その様は「漢の興って以來、人臣の盛、未だ嘗て有らざる也」とも称される。
 彼は靈帝の建寧五年=熹平元年、八十二という高齢で薨ずるが、その死の直前、不幸が立て続けにおこる。順に列挙しよう。
建寧元年:末子胡碩の死
建寧二年:継母(実母の妹)の死
建寧二年:孫胡根の死
建寧三年:妻の死
建寧五年:本人の死 

*1:『蔡中郎集』卷四「太傅安楽郷文恭胡公碑」

*2:後漢書』列傳三四「胡廣傳」