大臣たちの死
大臣たちの死
ところで中平元年から二年にかけて、主要な官僚が次々と亡くなっている。先の記事にあるように、光和七年=中平元年には、
四月頃:張濟
五月:橋玄
と亡くなっているし、続く二年には、
二月:劉寬
十月:楊賜
と亡くなっている。「袁紹の父 袁成」という記事で触れたように、袁逢もこの頃までには亡くなっていた。
周知の通り、橋玄は靈帝期の大臣であるし、張濟・劉寬・楊賜は侍講、袁逢と楊賜とは國三老であり、その死後追贈を見ても、極めて優遇されていたことがわかる。彼らが立て続けに亡くなったインパクトは、こと中央に限って言えば、黄巾の比ではなかったであろう。
なお本問題に関しては「後漢靈帝中平政治史試論」(投稿中)で触れている。
続きはWebでの時代に、続きは紙媒体でとかね。