NAKAMOTO Keisuke "Daily"

日記的な。公的な研究テーマは官僚制、私的な研究テーマは汝南袁氏(轅濤塗から袁世凱まで)。歴史学と政治学・経済学の境界を彷徨うための準備期間中です。ここで書いてる小ネタは、十年前の卒論の際の小ネタメイン。

大臣たちの死

大臣たちの死

 ところで中平元年から二年にかけて、主要な官僚が次々と亡くなっている。先の記事にあるように、光和七年=中平元年には、

四月頃:張濟
五月:橋玄

と亡くなっているし、続く二年には、

二月:劉寬
十月:楊賜

と亡くなっている。「袁紹の父 袁成」という記事で触れたように、袁逢もこの頃までには亡くなっていた。

周知の通り、橋玄は靈帝期の大臣であるし、張濟・劉寬・楊賜は侍講、袁逢と楊賜とは國三老であり、その死後追贈を見ても、極めて優遇されていたことがわかる。彼らが立て続けに亡くなったインパクトは、こと中央に限って言えば、黄巾の比ではなかったであろう。

 なお本問題に関しては「後漢靈帝中平政治史試論」(投稿中)で触れている。 

 

続きはWebでの時代に、続きは紙媒体でとかね。